【ゆるり文化財探訪】神仏分離150年

今月から始まったこの「ゆるり文化財探訪」では、文化財や歴史にまつわる小話、個別の文化財の紹介など、肩肘張らずにゆるく書いていけたらと思っています。私は本コーナーを執筆させていただくことになりました、古美術研究会OBのゑと申します。所属当時は副部長と合宿委員を兼任しており、現在は本学大学院で建築史を学んでいます。

さて、第一回目は表題にある通り「神仏分離150年」について書きたいと思います。入学式で森迫学長も触れていましたが、平成30年(2018)は明治元年(1868)から起算して満150年に当たる年であり、政府の方針に基づいて各府省庁や地方公共団体において「明治150年」に関連した様々な施策が推進されています。節目の年にあたり、近代日本の出発点となった明治維新を称揚する各行事はそれなりに意義のあることだと思いますが、一方で文化財の保存という観点からは、明治初年はたいへん厳しい時代でした(ここでいう文化財とは、いわゆる文化財保護法が定義するものではなく、広く文化活動の所産としての財を指します)。
 明治維新直後の旧物破壊の風潮を代表するものとして、慶應四年(明治元年)に出された神仏分離に関する諸法令と、それをきっかけに発生した廃仏毀釈が挙げられるでしょう。日本では奈良時代から神仏習合といって、我が国の神祇信仰と仏教が接触・混融して独特の宗教文化を生み出してきました。神社境内に様々な仏教建造物が造営され、仏事が修され、社僧という僧侶が神社に奉仕する形態が一般的に見られ、神社境内に本地仏を配した宮曼荼羅や懸仏のような神仏習合を表す美術が多く制作され、僧形の神像や仏像を神体として祀る神社も少なくありませんでした。このような仏教主体の神仏習合が江戸時代の終わりまで続くわけですが、明治維新によって政権が変わると、その状況も一変します。今からちょうど150年前、慶應四年(1868)三月一七日には、新政府の神社関係の事務を取り扱う神祇事務局という役所から全国の諸神社へ次のような達が出されます。

今般王政復古、旧弊御一洗被為在候ニ付、諸国大小ノ神社ニ於テ、僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ、復飾被仰出候、若シ復飾ノ儀無余儀差支有之分ハ、可申出候、仍此段可相心得候事 、但別当社僧ノ輩復飾ノ上ハ、是迄ノ僧位僧官返上勿論ニ候、官位ノ儀ハ追テ御沙汰可被為在候間、当今ノ処、衣服ハ淨衣ニテ勤仕可致候事、右ノ通相心得、致復飾候面面ハ 、当局ヘ届出可申者也

つまり、別当や社僧と呼ばれる神社に奉仕していた僧侶に対して、復飾(僧侶をやめて俗人の身分に戻ること)して神職と同じように神社に勤めるよう命じています。さらに、同月二八日には以下のような達が出されます。

一、中古以来、某権現或ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不少候、何レモ其神社之由緒委細に書付、早早可申出候事、但勅祭之神社 御宸翰 勅額等有之候向ハ、是又可伺出、其上ニテ、御沙汰可有之候、其余之社ハ、裁判、鎮台、領主、支配頭等ヘ可申出候事、
一、仏像ヲ以神体ト致候神社ハ、以来相改可申候事、附、本地抔ト唱ヘ、仏像ヲ社前ニ掛、或ハ鰐口、梵鐘、仏具等之類差置候分ハ、早々取除キ可申事、右之通被 仰出候事

一つ目は、「○○権現」や「牛頭天王」など仏教語を用いた神号について、その由緒書を提出すべきこと、二つ目は、神社の社殿から仏像や仏具、梵鐘などの仏教的要素を除去するよう命じています。このようにして、組織と信仰対象の両面にわたって神道と仏教を明確に分けるよう通達されたことを受けて、全国の寺社の様相は大きく変化しました。ほぼ全ての社僧が復飾してそのまま神職となった鶴岡八幡宮や北野天満宮、象頭山松尾寺という真言宗寺院から大物主神を祀る神社へと変貌を遂げた金刀比羅宮などは、新政府が意図したモデルケースと言って良いかもしれません。
 では、かつてその境内にあった堂塔や仏像などの仏教関係の文化財はどうなったのでしょうか?神社から神宮寺が独立したり、寺院の鎮守が分立した場合には、分かれた寺院側がそれらを引き受ける場合が多かったようです。神宮寺自体が廃寺になったり、実態として寺であったものが神社に転化した場合などは、近隣の有縁の寺院や関係者が仏像などを引き取ることもありました。しかし売却されたり、堂塔などの建造物は取り壊されたりするものも少なくなかったようで、多くの貴重な仏像・仏具・建造物が失われました。
 さらに、この法令を契機として、単なる神仏の分離だけでなく、過激な仏教排斥運動(これを排仏毀釈と言います)が起きたケースもあり、よく紹介されるのが滋賀の日吉大社の事例です。これは比叡山延暦寺の鎮守であった山王権現の社司たちが、長年僧侶の支配下に置かれていたことに不満を持っており、分離令が出た直後に延暦寺三執行代に社殿の鍵の引き渡しを要求しますが、延暦寺側が対応を協議している途中に、神威隊という全国の神職を集めた一隊と坂本村の人夫数十人を率いて社殿に乱入し、殿内に神体として祀られていた仏像や僧像、経巻、仏具など数百点を焼き捨て、金物類は持ち帰ったという衝撃的な事件です。穏当に神仏分離を進めるつもりであった新政府としては、このような一方的な破壊行為は意図せぬところで、後々この事件の首謀者である社司たちは処罰されることになります。また、このような事件を受けて同年四月十日には以下のような太政官布告が出されます。

諸国大小之神社中、仏像ヲ以テ神体ト致シ、又ハ本地抔ト唱ヘ、仏像ヲ社前ニ掛、或ハ鰐口、梵鐘、仏具等差置候分ハ、早早取除相改可申旨、過日被仰出候、然ル処、旧来、社人僧侶不相善、氷炭之如ク候ニ付、今日ニ至リ、社人共俄ニ威権ヲ得、陽ニ御趣意ト称シ、実ハ私憤ヲ斉シ候様之所業出来候テハ、御政道ノ妨ヲ生シ候而巳ナラス、紛擾ヲ引起可申ハ必然ニ候、左様相成候テハ、実ニ不相済儀ニ付、厚ク令顧慮、緩急宜ヲ考ヘ、穏ニ取扱ハ勿論、僧侶共ニ至リ候テモ、生業ノ道ヲ可失、益国家之御用相立候様、精々可心掛候、且神社中ニ有之候仏像仏具取除候分タリトモ、一々取計向伺出、御指図可受候、若以来心得違致シ、粗暴ノ振舞等有之ハ、屹度曲事可被仰出候事

ここでは、改めて神仏分離の主旨を明確にすると共に、「社人共俄ニ威権ヲ得、陽ニ御趣意ト称シ、実ハ私憤ヲ斉シ候様之所業」を戒めて、仏像仏具を取り除く際には一々役人の指図を仰ぎ、「粗暴ノ振舞等」は違法であると述べています。この布告が出たこと自体、とりもなおさず日吉社事件のような排仏が各所で起こったことを示していると言えるでしょう。もっとも、神仏分離や排仏毀釈の度合いは、地方官や神職たちの思想によってかなり地域差があったようです。


 最後に、京都で神仏分離やそれ以前の神仏習合の痕跡が見られる場所を紹介したいと思います。神社に建っていた仏堂跡などは、現在は綺麗に整地されてしまって遺構・遺物がわからないものが殆どなのですが、わかりやすいのが石清水八幡宮で、参道沿いにはかつて男山四十八坊と呼ばれた宿坊や護国寺(神宮寺)などが建っており、破却された跡地の石垣を見ることができます。また、周辺の寺には仏教関係の文化財が移されており、神應寺には開山の行教像、善法律寺には八幡大菩薩像や頓宮本地仏の宝冠阿弥陀如来、正法寺には八角堂と本尊の阿弥陀如来坐像がそれぞれ祀られています。また、泉坊という宿坊の建物は近隣の松花堂美術館に移築されて現存します。北野天満宮もかつては曼殊院門跡を別当とし社僧が勤仕していた宮寺であり、参道沿いの石灯籠には、かつての宿坊の名称が刻まれています。本殿裏手にある地主神社の木階の擬宝珠には「北野天満天神之宝塔」と線刻してあって、現在の宝物殿付近に建っていた多宝塔(神仏分離で破却)からの転用材であることがわかります。八坂神社は、明治以前は祇園感神院という延暦寺の末寺でした。かつての本地仏などは大蓮寺という寺に移されていますが、他に本殿内陣の後ろ側には現在も十一面観世音菩薩立像と、かつて石鳥居にかかっていた「感神院」の扁額が安置されています。有名な円山公園の枝垂桜も、もともとは祇園社の別当・宝寿院の庭にあったもので、神仏分離で寺院が廃寺になったのち跡地が公園として整備される際に残ったものです。こういうわけで、江戸時代と明治以降では境内空間や祭神、儀礼に至るまでかなり変更された寺社が多くあり、その痕跡も探せば色々と出てきます。古写真や古地図、江戸時代の名所図会などに描かれた境内と現状を比較してみると、その変化がわかって面白いかもしれません。寺社は、この神仏分離令以降にも、明治四年と明治八年の社寺領上知令によって境内地以外の領地を没収され、その経済的基盤を失って大きな打撃を受けました。
 維新当時は文化財やその保存といった概念自体が存在しなかったために、多数の仏教関係の文化財の廃棄・流出を許してしまったわけですが、その後はこうした旧物破壊の風潮のカウンターとして、まず明治四年(1871)五月に日本初の文化財保護法令である「古器旧物保存方」(太政官布告第251号)が布告され、仏具・什器などの古器旧物(建造物は含まれない)が保存対象として認知されると同時に社寺の宝物調査が開始されます。さらに明治十三年(1800)の古社寺保存金制度を経て、明治三〇年(1897)に成立した古社寺保存法によって建造物を含めた社寺文化財の包括的な保存が制度化されてゆくことになります(この辺りの経緯は書くと長くなるので、またの機会に)。

 明治元年は、日本が近代化に向けて大きく踏み出した年であると同時に、「御一新」の名の下に多くの文化財が失われた年でもあります。今我々が目にしている文化財はなぜ守られたのか、失われたものは何か、なぜ守られなかったのか、150年という節目にあたり歴史を省みながら、各所の文化財を訪ねたいと思います。

寄稿:ゑ

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