【新歓】伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

今回は新入生を引き連れて伏見稲荷大社を散策してまいりました。
千本鳥居でよく知られる伏見稲荷大社ですが今回の散策ではその先の稲荷山の頂上(上の社)まで回ることができました。伏見稲荷大社の起源については秦伊呂巨(はたのいろぐ)という地方豪族が餅を的にして弓の練習をしていたところ、その餅が白い鳥へと姿を変え降り立った山にたくさんの稲がなっていたということから「稲のなる」という意味から「いなり」という名前で親しまれ社が建てられたことに由来すると伝えられています。


稲荷駅を出てすぐ、もうすでに楼門が見えています。


本殿の奥へと進んでゆきますと早くも、千本鳥居がまっております。
朱に染まった鳥居がどこまでも続いてゆく光景は明るく差し込む光と同時に鳥居のもつ独特の不気味さとで他では感じることのない神秘的で引き込まれるような美しさに包まれました。千本鳥居が形成されはじめたのは江戸時代ごろからのことであり、願い事が通るという意味で奉納する習慣が広まったとされています。


千本鳥居を抜けた先にはたくさんの絵馬がかけられていました。その一つ一つをよく見ると狐の顔の形をしております。とてもかわいらしいですね。ちなみにきつねは稲荷大神の眷属であり大神様と同様に目に見えないとされています。もちろんこのきつねというのは普通のきつねではなく白狐(びゃっこ)で同様に崇められています。また、稲荷大伸の眷属がきつねとなったのには稲荷山の木が建材として東寺で使われたことから東寺でも稲荷大伸と事を崇めるようになり、東寺で祀られていた「ダキニ天」(元はインドの神様)と混同されるようになりダキニ天がまたがっていたキツネ(インドではジャッカルであったが日本に入る際キツネになったとされている。)が稲荷大伸の眷属であると認識されるようになったという説もあります。


その絵馬の近くにはこんなものも…。ちなみにきつねが油揚げを好むとされるのはキツネ狩りの際に使用していたネズミの油揚げが由来ではないかとされています。

千本鳥居ですでに若干の疲れを見せている方もいましたが稲荷山制覇のため、さらに上へと登ってゆきます。


四ツ辻へと到着しました。ここから見渡せる京都の風景もまた良いものです。
ここまでくれば頂上まではそう遠くありません。気合を入れて上の社を目指します。


ついに上之社へ到着。清少納言が記したところには一日に7度も参拝するような方がいたとも伝えられていますが一度参拝するだけでもかなりの体力を消耗しました。周りには多くのお塚がありました。これらは民間の人たちがご自分で置いたものであるとOBの方からお話を聞くことができました。


山頂についたところで雨が降り出し急遽四ツ辻のお店へ避難非難することに。何とか天気も収まり最後には雨上がりのきれいな景色を見ることができました。新入生も楽しんでくれたのなら非常にうれしいです。

伏見稲荷のしおり

寄稿:物質工学課程 二年 おかゆ

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